風の便り
風の便りがどこから湧き出て届いたのかは、我知らず。
「工房彩家が瓶原に来るんやってね」
まだ引っ越しも終わってない頃から、うわさされていました。
「みかのはら ってどこ???」
彩家の移転先は、その昔、瓶原村という村だったらしい。 (ビンハラじゃなくって、ミカノハラって読みます)
地の人は今でも「みかのはら」と呼んでいるようです。
知らんかった。
京都南の木津に工房を構えて9年目。
田舎だからなのか、地に根付いてきたからなのかは、我知らず。
彩家のうわさが、風に乗って広がっていたことが、
ただ、なんとなく嬉しいことだと思う。
虫の知らせ
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740年、聖武天皇は、平城京から瓶原(みかのはら)の地に「恭仁京」を遷都しました。
744年に難波宮へ遷都されるまでのわずか数年の都でしたが、大仏造立の詔や墾田永年私財法が発布された歴史上重要な時期の都です。
墾田永年私財法とは、奈良時代である743年に 聖武天皇 によって発布された 土地を開墾した分だけ自分の土地にできることが出来る法律のこと です。
※「墾田永年私財法」については、本日10/31の選挙や現代の政治や法律のあり方についても関連するので、興味のある方は自分で調べてね。 By 彩家
遷都の理由は不明ですが、当時天然痘が流行していたこと、権勢盛んであった藤原四兄弟が死んで、かわって橘諸兄が政権を握るも、橘諸兄のやり方に反発して九州で藤原広嗣が反乱を起こすなど、社会不安がうずまいていました。
聖武天皇はそういう社会不安をかんがみ、遷都によって仕切り直そうとしたのかもしれません。
☟より、情報をいただきました。
https://sirdaizine.com/travel/Mikanohara.html
https://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,47987,36,172,html
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木津は、平城京などの都城建設の木材の陸揚げ港として栄えた地域です。
彩家は、その木津の港を転々とし、今回、瓶原の地にたどりつきました。
「聖武天皇が、陸揚げされた木材で恭仁京という都を建てた地」
「社会不安をかんがみ、仕切り直そうとした地」
旧工房の取壊しは、虫の知らせだったのだと思っています。
何のことだか今はまだはっきりわかんないけど、「ここで、仕切り直して地に踏ん張れ」と、何かしらを知らせてくれたのだろうと。
この地に移転した意味が、いつかわかる日が来ると。
そう思っています。
ロマンティックに
みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ…中納言兼輔
この瓶原の地で、木津川の流れをみながら歌われた、「まだ見ぬ恋」の歌です。
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どんな素敵な人だろう。きっと優雅な、物腰のやわらかな人だろうなー…などと想像を膨らませ、いよいよ直接の出会いとなります。「イメージ通りの人だった」「なんだよガッカリだ」…どちらの場合もあったでしょうが、そういう恋愛の作法だったわけです。
☟より、情報をいただきました。
https://ogura100.roudokus.com/uta27.html
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歴史にはかなりうとい私です。
土地の歴史も今まで調べた記憶ないです。
たまたまです。
今回、たまたま「木津川ア-ト2021」が瓶原で開催され、テ-マは「回帰」と知り、調べてみたくなっただけです。
たまたま調べたことを、今日、あたかも知ってたかのように書いただけです。笑
どんな土地なんだろう
ここで何が待っているのだろう
まさに今、「まだ見ぬこれから」に恋しています。ワタシ。
ずっと ものづくり
ずっと ものづくりのできる世の中であって欲しい
ずっと ものづくりできる自分でありたい
今後とも、よろしくお願い致します。
工房彩家 Hikaru